Ready-made

「既製品」である僕たちに個性を

私とサッカーとの出会い

世界的に広がるコロナウイルスの影響で、緊急事態宣言が解除されましたがSTAYHOME週間が続いていますね。

そのため、自宅で過ごす時間が増えているため、今まで行っていなかった家のことなどを消化していると意外とやることがあるなーというのがGW折り返し地点での感想です。

 

フランス旅行後に一度もブログを更新していなかったので、とにかく更新してみようとなりました。

そこで、自身の趣味などが活動できていないので、そちらについて記録を残しておこうと思いました。

その中でも、今の生活に大きな影響を与えている「サッカー」そして、「ガンバ大阪」との出会いについて今回は書いていきます。

 

幼少期の頃は、どちらかと言うとサッカーよりも野球派でした。

その証拠として、野球カードを大量に買い集めたりしていました。

プレイヤーとしては、センスがなかったのでやっていませんでしたが。

 

そんなサッカーとの出会いは、遡ること2002年の日韓ワールドカップ

ひょんなことから、ワールドカップのチケットが当たった人から誘われ、一緒に連れて行ってもらえることになりました。

日本戦ではなく、クロアチアエクアドル戦だったのですが、その時に感じた会場の雰囲気は、普段、野球場へ足を運んでいた景色とは一味違ったのを幼少期の感覚ながら覚えています。

クロアチアのレジェンドであるコバチ兄弟やエクアドルの英雄であるデルガドを当時見ていたのかと今になって思うが、そこでも、サッカーにはまることはありませんでした。

日産スタジアムメモリー2002年6月13日|2002 ワールドカップメモリー|日産スタジアム

 

サッカー、そして、ガンバ大阪にのめり込むきっかけになったのは、2006年。ガンバ大阪がリーグ優勝を果たした翌年になります。

よくある「優勝したからファンになった」というのとは、少し違った流れでした。

というより、優勝したことをあまり認識していなかったと思います。

 

浦和レッズが好きな友人とサッカーの話題になり、現地へ見に行くことになりました。当時、お金がないので、料金の安いゴール裏一択でした。

なかなか浦和レッズのチケットは入手することが争奪戦だったこととや初心者がいきなり埼玉スタジアムのゴール裏へ行くことは回避しようということになり、マリノス戦へ行くことに。

その時、なぜ、マリノス側のチケットを購入しなかったのかもよく覚えていませんが、その時から何かに導かれていたのでしょう笑

 

試合結果は、当時の両手ぶらりでひたすら打ち続けるガンバ大阪の勝利を見ることができたこと。常に攻撃し続けるガンバ大阪へのめり込む大きな転機となりました。

J. League Data Site

 

この世界の状況が早く収まり、再びサッカーをみんなで和気あいあいと見れる日が訪れることを待ち望んでいます。